【8月17日】

雷鳴が 花火替わりの 別れかな

今月10日に亡くなった入江巡一議員の告別式に参列する。

『9月議会では俺も質問をやりたいから』と、初めは乗り気でなかった抗がん剤治療も前向きに挑むようになっていたという話をご家族からお聞きし、何ともやり切れぬ思いに駆られる。

入江議員とは『同僚議員』という一言では片付かない様々な思い出がある。

我が家と同じ並びにあった石材店のおじさんが、元プロ野球選手(大洋ホエールズの捕手だった)なのだと親から聞き、『行ってみよう!』と迷惑も顧みず、近所の友達と作業場へ押しかけたのは、もう30年も前のことである。

以来、大人になるまで何かと気にかけていただき、まさか自分が市議選に出馬し、その選対本部長をお願いすることになろうとは想像もしていなかった。

2度目の市議選直前に『無選挙はいかん!』とご自身も出馬された時は、正直頭を抱えたが、選挙直後には総務常任委員会で私が委員長、入江さんが副委員長という関係になり、またもや何かにつけてお助けいただいた。

祭りと酒をこよなく愛し、“豪放磊落”“頑固者”というイメージが強い方だったが、仕事ぶりは驚くほど繊細で、女性が書いたようなきれいな文字を書く“メモ魔”であることは、一緒に仕事をして初めて知った一面だった。

上から目線で来る人間には徹底的に反発する一方で、困っている人間は放っておけない性格。『俺なんかでいいのかねぇ…』と悩みながらも、保護司を平成15年から引き受け、病床に伏す間際まで元受刑者の社会復帰を支援していたのは、そんな入江さんの人柄を物語る一面ではなかっただろうか。合掌。