【5月10日】

明治大学公共政策大学院で教鞭をとり、この3月末で退職された山下茂教授の慰労会が東京都内で行われ、私もお邪魔をさせていただいた。

私が大学院に通っていたのは、2005年から2008年の期間。その中で、山下先生の地方自治制度の国際比較に関する授業も受講していた。

ちょうど二宮町と市町合併の議論が進められて時期と重なる。先生から欧米の自治制度に詳しく教えていただいたことで『自治体のあるべき姿とは?』ということについて、自分の視野がとても広がったと思っている。

山下先生は旧自治省の官僚で、平成4〜5年度には栃木県の総務部長も務められていた方。

自分にとって一番の思い出は、修士論文を提出した後の面接。

私を担当したのが山下先生で、その際『およそ論文の体はなしていないが、読み物としては面白かった』という評価を受けた。

先生からの『およそ論文の体はなしていない…』という前段の厳しい指摘はあまり耳に入らず、どういう訳か『読み物としては面白い…』という後段の部分だけが私の記憶に残ってしまい、『俺には文才がある!』という大いなる勘違いをしながら、私の議員生活は今日に至っている。

【5月7日】

この日、真岡市議会では、各議員が所属する『会派』の結成届の提出期限を迎えた。

私は3名の議員(池上正美議員、春山則子議員、七海朱美議員)とともに、新しい会派『もおか新時代』を結成。その代表も務めることになった。

令和という新しい時代にふさわしい会派運営、ひいては議会活性化にも寄与していくことができれば…。そんな願いを込めて会派名を決めた。

改選前の4年間、私は無会派で活動を続けてきた。何にも縛られず、執行部に対してもニュートラルな立場で意見が言えるというメリットがある一方で、自分が掲げた政策を実現させていくためには、色々と制約があることを実感した4年間だった。

今回『一緒にやりませんか?』と、何度も私に声をかけてくれた同僚議員には心から感謝をしている。

それぞれ支持政党も異なる議員の集団であるが、お互いの政策を実現するために切磋琢磨し、議論を重ね、協力しあっていきたい。

【5月1日】

いよいよ令和の時代が幕を開ける。

4月27日から始まった10連休の真っ只中。巷は非常にノンビリとしたムードが漂っている(昭和から平成に替わった時と随分違います)。

こちらは、選挙の残務処理に追われる日々で、前の日も慌ただしさの中で『平成最後の1日』を過ごし『何ともあっけなくものだなぁ』と、少し寂しい気持ちになっていた。

それでも夕方の『退位礼正殿の儀』の様子をTVで見ることができ、ようやく新時代の到来を実感できたように思う。

どうか令和の時代が、平成を超える素晴らしい時代でありますように…。

【4月28日】

この日の午前中、宇都宮市の護国神社で行われた栃木県戦没者合同慰霊祭に出席。

これが議長としての最後の公務となる。

この慰霊祭は、戊申戦争以降、国のために命を捧げられた栃木県関係の英霊5万5361柱を祀るもので、毎年4月28日に行われている。

福田富一知事をはじめとする来賓、さらに県内各地から数多くの遺族が出席し、英霊の安らかなることを祈り、平和への誓いを新たにした。

【4月27日】

この日、真岡木綿会館のリニューアルオープン記念式典に出席した。

 

 

 

 

 

かつて、江戸市中で取り引きされた6割が真岡産であったというほど、真岡木綿は隆盛を極めた。

明治時代以降は衰退したものの、昭和61年に真岡商工会議所などが中心となり復興を図り、現在の真岡木綿会館が開館したのは平成20年のこと。木綿の生産工程の見学のほか、機織りや染色体験ができ、観光客から人気を博していた。

今回のリニューアルでは、真岡木綿の製品や特産品を販売するスペースができたほか、屋外にウッドデッキやテーブルセットも設置され、これまで以上に真岡木綿を身近に感じられる空間が誕生した。

また、真岡木綿の新製品の中には、地元の高校生達のアイデアによって生まれたものもあり、これから注目を集めそうだ。

この施設を核として、真岡市の観光振興が一層図られることを願っている。

【4月23日】

この日から本格的に議長公務が再開。

午前中に『市職員OB友の会』の総会に出席した後、午後からは『農業再生協議会』の総会へ。

来賓としてスピーチをしていると『まだお前が議長なの?』と、キョトンとした表情をする方も(こちらが勝手にそう思ってしまうのかも知れませんが)少なくない。

実は、今月29日までが改選前の議員の任期であるため、選挙後も議長としての公務が立て込んでいる。

『立つ鳥跡を濁さず』

任期終了まで、議長としての務めをしっかりと果たしていきたい。

【4月14日~21日】

7日間にわたって真岡市議選が行われた。私にとって5回目の選挙戦。定数21に対して23人が立候補。“少数激戦”の戦いとなった。

この選挙で、私が掲げたテーマは『2040年 輝く未来であるために―今、まちづくりをモデルチェンジ―』。

『”2040年”にはどういう意味が込められているのか?』と、多くの方々からご質問を受けた。

今から21年後の2040年は『第2次ベビーブーム世代』が一斉に65歳以上となり、高齢者人口がピークを迎える。そうした将来を視野に入れながら、いかにして持続可能な地域づくりを展開させていくのか?それが候補者1人ひとりに問われた今回の選挙戦だったと、私は考えている。

今後、真岡市がどのようなまちづくりを進めていくのか。その方法論とも言える公約が、曖昧な言葉の羅列であってはならない。今回、私は5つの分野、17の政策を『中村的マニフェスト』として掲げた。

選挙期間中、できるだけ多くの方々に私の考えを伝えようと思い、市内約40ヶ所で街頭演説をさせていただいた。

しかし、選挙戦の2日目、15日(月)の午前中、街頭演説の準備を進めていた際、候補者の私が、自分自身の選挙カーと接触するという前代未聞の出来事が…。

幸い、私は病院での検査の結果、肩・ひじの打撲で済んだものの、選挙カーの破損が目立ち、その日の選挙運動は一切控えることに。翌日以降は、選挙カーの修理も済み、運動を再開することとなった。

また、18日(木)には、真岡市内の小中学校で『全国学力・学習状況調査』(小6、中3)、『とちぎっ子学力状況調査』(小4・5、中2)、そして 『真岡市総合学力調査』(小3、中1)が実施された。

そのため、当日は午前8時から午後4時まで、選挙カーによる街宣活動を個人的に自粛させていただき、各学校から一定の距離が保たれた場所でゲリラ的な街頭演説を繰り返した。

さて、中盤戦以降は、県内外から数多くの市議・町議の仲間が応援に駆けつけてくれた。公務の忙しい合間を縫って、応援弁士としてマイクを握ってくれた仲間には心から感謝している。

議員の仲間達だけではない。

この選挙の期間中、多くの方々が手を振ってくれたり、車中からクラクションで声援を送ってくれたり、そうした激励が何よりもありがたかった。

そして、私のことを信じていただき、選挙運動に関わってくれた方々。特に今回は、選挙期間中にも議長公務があり、加えて交通事故にも見舞われるなど、これまで以上にご迷惑、ご心配をおかけした。

改めて、多くの方々の支えと励ましのおかげで進めることができた今回の選挙戦だったと痛感している。

そして迎えた21日の投開票。

結果は2473票を獲得。トップで当選を果たすことができた。

しかも、歴代の真岡市議選で最高記録だった16年前の私の得票(2415票)をも上回ることができた。

大きな喜びとともに、これまで以上に責任の重さを感じている。

1票1票に込められた気持ちを真摯に受け止め、選んでいただいた方々に恥じることのない活動を展開していきたい。

お知らせ(4月18日)

4月18日(木)、真岡市内の小中学校では、
『全国学力・学習状況調査』(小6、中3)
『とちぎっ子学力状況調査』(小4・5、中2)
『真岡市総合学力調査』(小3、中1)が実施されます。

これまで、
子ども達の学力テストの結果等について、
議会内で指摘してきただけでなく、
各学校の先生方や保護者の方々などに対しても、
あれこれと申してきた手前、
18日の午前8時から午後4時まで、
選挙カーによる街宣活動を、
個人的に自粛させていただきたいと考えております。

なお、上記の時間帯は、
各学校から一定の距離が保たれた場所で
ゲリラ的な街頭演説のみ行う予定です。

何卒、ご理解の程、宜しくお願いいたします。

 

ご報告(4月15日)

4月15日(月)の午前中、市の中心部で街頭演説を行う準備を進めていた際、こともあろうに候補者である私が、自分自身の選挙カーと接触するということが発生しました。

当時、現場を通られた方々に不安を与えることになり、心からお詫び申し上げますとともに、「ケガは大丈夫か?」とご心配いただいた市民の方々や同僚議員には本当に感謝です。

幸い、私自身は病院での検査の結果、肩・ひじの打撲で済みました。

しかし、選挙カーの方の破損が目立ち、走行が困難となり、昨日の選挙運動は一切控えさせていただきました。

選挙カーの修理も無事済みましたので、候補者・スタッフともども、交通安全にはこれまで以上に留意を払いつつ、翌16日(火)より元気に運動を再開させていただきました。

ここにご報告させていただきます。

まちづくりのモデルチェンジ⑤ ~議会改革・活性化~

真岡市議会では、昨年4月に『議会基本条例』が施行され、10月には『議会報告会・意見交換会』も開催することができた。加えて『政務活動費のインターネット上での公開』や、質疑・一般質問時における『一問一答制(選択制)』も導入を図ることもできた。

日本経済新聞社が発表している『議会活力度ランキング』では、真岡市議会は2014年の調査で792位だったものが、2018には298位まで改善が図られている。

これは、これまで4年間にわたって『議会活性化等検討委員会』などを中心に、議会全体が議会改革・活性化と向き合ってきた成果の表れであると考えている。

今後の課題としては、常任委員会の運営方法などを見直しなどにより、議会としての政策立案能力の向上を図るということ。さらに、議会だよりのリニューアルやインターネットによる動画配信などにより、市民の皆さんに分かりやすく、開かれた議会づくりを進めてく必要がある。

これまで1年間、議長として議会改革・活性化について取り組んできたが、その経験を活かしながら、今後もこの課題については力を入れていきたい。

 

以上、真岡市が取り組むべき課題について申し述べてきた。私達の目の前には、実に様々な課題が横たわっているが、決して悲観すべきではないと思う。

これまでの議員活動で、私は『教育と生涯学習を軸としたまちづくり』ということを訴え続けてきたが、その取り組みといくつかの施策を組み合わせていければ『あっという間』に訪れる21年後も、真岡市は希望のある地域であり続けると考えている。

まちづくりのモデルチェンジ④ ~安全・安心のまちづくり~

昨年をふり返ると、全国各地において自然災害が相次いだ。災害はいつ、どこで発生してもおかしくないということを改めて認識した1年だった。

災害の対応については『自助、互助、共助、公助』と言われるが、その中でも初期段階では自助、互助、共助の部分が極めて重要とされている。であれば、市民の防災意識高揚を図るため『災害図上訓練』のさらなる普及は不可欠ではないだろうか。

また、指定避難所は水害の場合、非常に大きな課題を有しているところが多い。さらに、災害用備蓄倉庫も1ヶ所に集中しており、そうした公助の面でも見直すべき点が見られる。

安全・安心のまちづくりを考える上で、もう1つ『超高齢社会への対応』も忘れてはならない課題として挙げられる。

今後も高齢者人口が増加する中にあっては、可能な限り介護が必要でない状況、健康寿命を高めていく努力を怠ってはならない。しかし、残念ながら栃木県は、脳卒中による死亡率が全国でワーストに近い。その中にあって真岡市は、栃木県の中でも悪い地域1つである。

現在、真岡市では健康相談などが気軽にできる『まちなか保健室』が2ヶ所開設されているが、これを市内の様々な地域に増やす必要があると考えている。介護予防はもとより、福祉分野の相談機能も高められれば、福祉・医療の『横割りの連携』を進めることも期待できる。

まちづくりのモデルチェンジ③ ~支えあいの仕組みづくり~

『まちづくりのモデルチェンジ』を考える上で、議会や行政だけでは完結できず、市民同士の支えあいが不可欠なものも数多い。経済格差や地域間格差といった課題は、その代表格と言える。

例えば、子ども食堂や“買い物難民”問題の解消に向けた移動販売車などは、行政が直接運営することが適切とは思えない。市民の主体的な活動を促すべきではないだろうか。

また、市街化区域と市街化調整区域のあり方という課題については、これまでも行政、議会、そして市民が何度も議論を交わし続けてきた。しかし、土地利用の制約や温度差により、その議論はかみ合ってこなかったという印象が強い。昨今、中心市街地へ人の流動を促す『コンパクトシティ』に向けた動きもある中で、市街化調整区域の活性化に向けて、官民一体となった研究会を立ち上げ、将来像に向けての認識を共有化する必要性を強く感じる。

さらに、市民同士が支えあうにあたっては『自立した人づくり』ということが欠かせない。かつて真岡市には『真岡市民大学』という生涯学習講座があった。それをもう一歩進化させて、市民と行政が一体となって真岡市の未来について学び、話し合う『新・真岡市民大学』の創設といったことも、今後考えて行かなければならないことだと思う。

『市民同士の支えあい』と聞くと、行政や議会は何も関わらなくてよいものと捉えられだが、決してそのようなことではない。そこには一定の仕組みづくりが求められる。

6月議会