【6月17日】

質疑・一般質問の1日目。私はトップバッターとして質問をさせていただいた。

令和年間において最初の質問者ということになった。

今回私は、

1.人口減少時代における取り組みについて

(1)『人口ビジョン』が掲げる目標数値について

(2)新たな少子化対策について

(3)多子世帯に対する経済的な支援について

2.教育関係の諸課題について

(1)今年度から配置された『スクールソーシャルワーカー』について

(2)『コミュニティ・スクール』の導入に向けた研究・検討について

(3)『教育研究所』の設置について

3.芳賀赤十字病院の跡地利用について

(1)跡地利用に向けての進捗状況について

(2)地元住民との情報共有について

4.障がい者の生活拠点整備について

(1)グループホーム等の整備に向けた進捗状況について

(2)今後の取り組みについて

5.『第12次市勢発展長期計画』について

(1)策定に向けてのプロセスについて

(2)計画に新しく盛り込もうとしている施策について

(3)計画の名称について

という5件の課題について一般質問を行った。

執行部は答弁の中で、

・『コミュニティ・スクール』の導入に向けて検討を行っていくこと

・これまでの総合計画の名称『市勢発展長期計画』を、時代の変化に合ったものに見直す可能性がある などの考えを明らかにした。

さて、真岡市議会では昨年の6月定例議会から、従来の一括質問一括答弁方式(再質問時からは一問一答)に加えて、一問一答方式も選択できるようになった。

私自身としては、今回初めて一問一答方式による質問をさせていただいた。議員の質問に対して、執行部がその都度答弁をしていくと、議論が大変分かりやすくなり、市政の課題も浮き彫りになっていくことを実感した次第(準備は色々悩みましたが)。

 

【6月16日】

真岡市消防団の夏季点検と操法大会が、芳賀地方卸売市場で行われた。

現在、真岡市の消防団員は494名。そのうち、今回の夏季点検には467名が出場した。出場率は94.5%。

以前に他の自治体の消防団関係者から聞いたことだが、出場率が9割を超えるというのは、他の地域ではなかなか見られないことだという。

真岡市の安心・安全は、こうした団員の方々の高い意識によって支えられている。

さて、操法大会には7つの分団から計24部が出場した。

各部ともゴールデンウィークあたりの時期から、忙しい仕事の合間をぬって練習を続けてきた。

上位入賞は以下の通り。

見事優勝に輝いたのは、昨年度の優勝を果たした山前地区の第2分団第2部。

同部は、この後7月に行われる芳賀地区大会に真岡市代表として出場する。

 

【6月12日】

自宅にこもって一般質問の原稿作成。とにかく煮詰まっている。
昨年度は議長を務めていたため質問が1年3カ月ぶりであるのに加えて、私としては初めての『一問一答方式』。原稿の書き方もこれまでとは大きく異なっているのである。
『あぁダメだ、これじゃ間に合わねぇ!』と言いながら、現実逃避のため外へ出かける。
しばらくして家に帰ってみると、パソコン周辺がこんな状況に。。。
妻によれば『熊3匹による“熊”倉町サミット』らしい。
変に考え込む悪い癖のある夫を見かねてのことらしいが、うーん…。

これでは愛くるし過ぎて仕事にならない!(そもそも、あと1匹って?)

 

 

ひとまず2匹にはお引き取りいただき『密談』をしておいてもらうことに。

 

【6月10日】

6月定例議会が開会した。

今回施行部から提出された議案は『工事請負契約』(防災無線のデジタル化、道の駅にのみや内の物産館新築工事、学校ネットワーク構築)や『学校ネットワークセキュリティ機器の取得』など10件。

日程は以下の通り。

 6/10    開会

    17   質疑・一般質問

    18   質疑・一般質問

    20   民生文教常任委員会

    21  産業建設常任委員会

    24   総務常任委員会

    26   閉会

この日は開会に先立って、議場コンサートも行われ『真岡ハーモニカ愛好会』による演奏が披露された。

市民により開かれた議会づくりを目指して始まった議場コンサートも、今回で17回目となった。

【6月7日】

元市議会議員の浅山俊夫さんの告別式に参列。

今から16年前、私が市議会議員になりたての頃、議長を務めていたのが浅山さんだった。

その当時、真岡市議会では『政治倫理条例』の制定に向けて議論をスタートさせたばかりだった。

議長として、私のような若い議員の意見にも耳を傾けていただいただけでなく、自ら条例に関する書籍を何冊も取り寄せて勉強されていた姿が、今も思い出される。

昨年度、自分も議長という仕事に就き、当時の浅山議長と同じような姿勢で、同僚議員と接し続けることが、いかに難しいか思い知らされた。

享年79歳。これからもお元気で、後輩である私達に指導をしていただきたかった方だった。合掌。

【6月6日②】

妻・光江のX回目の誕生日(年齢は訊かないでやってください…)。

普段は色々と迷惑をかけっぱなしなのに、こういう時にどんなお祝いをしたらいいのか、気の利いたことが何も思い浮かばない。

結局『ベタだよなぁ…』と分かっているのだが、午前中の調整会議が終わった後、市内の花屋へ花束を買いに行く。

【6月6日①】

6月定例議会で質疑・一般質問を行う議員による『調整会議』が行われた。

前日までに質問通告書(写真のような感じです)を提出した議員によって、質問の順番をくじ引きによって決め、質問内容に重複があった場合は議員間で話し合って調整を行う。

その後、質問の内容について市役所の担当課の職員と接見をするという流れとなっている。今回の質問を行うのは、私を含めて10名の議員。質問の日程は以下の通り。

6月17日

中村和彦、鶴見和弘、大貫聖子、大瀧和弘、日下田喜義

6月18日

飯塚正、服部正一郎、池上正美、佐々木重信、七海朱美

くじ引きの結果、私は初日の(6月17日)のトップバッターとして質問をすることになった。『令和年間の最初の質問者』ということで、大変光栄に感じている。

今回は『人口減少時代における取り組み』、『教育関係の諸課題』、『芳賀赤十字病院の跡地利用』、『障がい者の生活拠点整備』、『第12次市勢発展長期計画』の5件について質問を行う予定である。

【6月3日】

6月定例議会の開会を1週間後に控えて、この日は会派代表者会議、議会運営委員会、議員協議会などの会議が朝から続いた。

その後、現在私が代表を務めている会派『もおか新時代』のメンバー(私のほか、池上正美議員、春山則子議員、七海朱美議員)で中村中学校へ。

『ICT教育』の現状について、同校で視察させていただいた。

同校では、職員室にも大型のモニターを設置し、職員会議などにおいての先生方の情報共有化を進めている。

また、各教室とも電子黒板やタブレットを活用した授業が展開され、先生方が既成の教材はもちろんのこと、自らも工夫を凝らしながら生徒達に教えている姿が印象に残った。

その後、校長先生や教頭先生などと意見交換をさせていただいたが、授業内容がこれまで以上に理解されることが期待される一方で、教員や生徒達の間でのコミュニケーションの希薄化をどう補っていくかは今後課題になるように思われた。

今後も、会派『もおか新時代』では、こうした市内での視察や勉強会、ミーティングを頻繁に行っていき、政策立案能力の向上につなげていきたいと思っている。

【5月30日】

6月定例議会に行う一般質問の準備を進めているが、思いっきり煮詰まっている。

そんな中、気分転換に妻と出かけたのが井頭公園。

バラ園が見頃を迎えていて、多くの方々で賑わっていた。

【5月29日】

この日は、父・達也の祥月命日。茨城県水戸市にある菩提寺へ墓参りに出かける。

父が亡くなったのは平成元年こと。だから、今日でちょうど30年が経過したことになる。

父が亡くなった当日がとても暑かったこと、そして、入学直後で知り合ったばかりだった高校のクラスメイトが何人も『中村、大丈夫か?』と弔問に駆けつけてくれて、それで励まされたことは、今でも鮮明に覚えている。

振り返ってみれば、私にとって30年間は、本当にあっという間に過ぎていき、今年4月には父親の年齢も超えることになった。

しかし、夫を亡くして悲しみにくれながらも、夜勤もある仕事を続けながら、息子を大学まで進学させた母の苦労は、言葉では言い尽くせないものだったはず。

にも関わらず、なかなか親孝行らしいことができずにいるのだが…。

【5月25日】

真岡西中学校で行われた『西輝が丘スポーツフェスティバル』にお邪魔をする。

真岡市内では、大半の中学校が秋に運動会を行っているが、同校に限っては例年この時期に開催をしている(確か、昨年は学校行事の関係で、秋の開催だったと記憶していますが)。

梅雨入り前後の開催にも関わらず、同校の運動会は毎年天候に恵まれている。

快晴の空の下、生徒達は元気いっぱいグラウンドを駆け回っていた。

【5月23日】

この日の午前中、市民会館で『戦没者追悼式』が行われた。

この追悼式は、戊辰戦争以後、現在の真岡市を構成する地域の出身・在住で戦死した1973柱を慰霊するもの。

令和に時代に入って最初の追悼式には、遺族をはじめとする関係者が約300人集まった。

また、今回の追悼式では、真岡市民合唱団の皆さんが献唱を行い、『故郷』や『朧月夜』など計5曲を披露した。

真岡市では、2年前まで5地区(真岡、山前、大内、中村、二宮)において、それぞれ『戦没者慰霊祭』を行ってきたが、昨年から合同で開催されることになった。それだけ戦没者遺族の減少や高齢化が進んできたことを物語っている。

『記憶の風化』が、これまで以上に懸念される中で、いかにして平和の大切さ、戦争の悲惨さを後世に語り継いでいくか、非常に大きな課題である。