新世紀・公明クラブ 
 会 派 視 察 研 修 


8月2日〜4日にかけて、中村が所属する会派「新世紀・公明クラブ」では、
長野県佐久市と長野県小布施町と富山県富山市へ会派視察研修へ赴きました。
@健康長寿対策事業
Aまちづくり事業
BLRT
の3つがテーマでした。



 今回の視察では、下記の金額が公費でまかなわれました。
(3日間:議員一人あたり)   . 

総額 62,030 出所 政務調査費
内訳  交通費、宿泊費、相手先みやげ代
※ 当然のことですが、視察中の飲食代は、全て議員の自費負担です。



なお、視察の詳しい所見については、以下をご覧ください。




1.視察報告:長野県佐久市「健康長寿のまちづくり」について

1.はじめに
 長野県佐久市が「健康長寿都市」として注目を浴びるようになったのは、平成2年の国勢調査において、全国663市の中で男性の平均寿命が78.4歳で第1位、女性が83.7歳で第11位と発表されてからのことである。しかも、単に長生きであるというのではない。寝たきり高齢者率が2.98%(全国平均5.33%)、1人当たりの老人医療費は平成14年度の統計で58万1千円(全国平均73万6千円)という数字が物語るように、高齢者が健康を維持しながら余生を過ごしている。
 佐久市高齢者支援課の担当者によれば、その要因として「自然環境に恵まれている」ということと、それに付随して「豊富な川魚、イナゴや蚕のさなぎ等の昆虫類、野草や山菜等、自然の恵みを取り入れた食生活」をしてきたことが大きいとのことであったが、これについては、いささか疑問に感じる点がある。佐久市やその周辺地域は、昔から健康や長寿を評価された地域だった訳ではない。実際、佐久市が発足した昭和36年当時は、脳卒中による死亡率が全国ワースト1位だったという。つまり、「土地柄」や「風土」以上に、昭和30年代後半から現在に至るまでに行なわれてきた何らかの取り組みが最大の要因と見るのが妥当であろう。
 では、佐久市ではどのような取り組みが行なわれ、今日のような「健康長寿都市」の地位を築いてきたのだろうか。今回の視察では、その点に着目して調査を試みた。

2.佐久市の取り組み
(1)医師たちによる「出張診療」
 今回の視察に先だって予習として読んだ本に書いてあり、大変ショックだったのが、佐久市周辺では終戦前後の時期、医者の診察を受けることを「医者をあげる」と言っていたらしい。これは「芸者をあげる」と同じように、大散財することを意味していたようだ。
 そうした中、終戦直前に旧臼田町(現在は佐久市)の佐久病院に赴任した医師が、若月俊一氏であった。彼が赴任後、直ちに取り組んだのが、佐久地域の農村を巡回して行なった「出張診療」である。
 この取り組みはやがて昭和34年からの八千穂村(現在は佐久市に隣接する佐久穂町)全村健康管理、そして昭和48年以降、長野県下一円をカバーする集団健康スクーリングへと発展していく。
(2)保健補導員の活動
 佐久市の取り組みの中で、TV報道等を通して全国的に注目を集めているのが「保健補導員」の制度である。しかし、これは長野県の事業として戦後まもなくスタートしたもので、意外なことに、佐久市で導入されたのは昭和46年と、県内では遅い部類に入る。
 その後、「一部屋暖房運動」「減塩活動」「健康診査の促進」等の活動が評価され、昭和51年には保健文化賞を受賞している。このことから、スタートこそ遅かったものの、急速に浸透していったことが容易に想像できる。
 佐久市では、自治会単位で2名程度、主に各家庭の主婦が2年交替の持ち回りで役割を担っている。つまり、ほぼ全ての家庭に健康補導員を経験した主婦がいることになり、補導員の活動に対する理解が深まっており、家庭内での健康に対する意識の向上にもつながっていると考えられる。
(3)高齢者支援メニューの充実
 佐久市における高齢者支援は、「生きがい対策事業」「生活支援事業」「介護予防事業」「家族介護生活支援対策事業」「地域支援事業」「医療対策事業」「予防接種事業」「その他」の8分野に92のメニューが用意されている。
 その中の1つ「高齢者健康優良表彰」は1年間1度も医者にかからなかった70歳以上の高齢者を表彰する制度である。昭和54年から始まった制度で、毎年500人前後が表彰されている(医師にかからなければ何度でも表彰される)。また、表彰は市内のホテルで2日間にわたって行なわれ、市長から直接表彰状と記念品をもらい、昼食をともにする。この表彰を受けることを励みにしている高齢者は少なくないという。なお、この表彰制度のみが要因ではなかろうが、医師にかからなかった高齢者の人数分、医療費(平均額)を積みあげていくと、年間3億円近く浮く計算になるという。
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 また、これら高齢者支援メニューとは別に、高齢者はもとより職場ぐるみの検診がない自営業者等も対象にした「誕生月検診」という制度が、昭和53年度から実施されており、市民の健康維持をサポートしていることも付け加えておきたい。
 佐久市立浅間総合病院には、「誕生月検診」専用のスペースが設けられており、1日20〜30人が訪れているという。市民の間に定着しているということがうかがえる数字である。

3.所見
 今回の視察を前に、佐久市に強い興味を抱いた点は2つある。まず1点目が、かつて脳卒中の死亡率がワースト1位だった歴史を持つということである。そして2点目が、人口規模が本市と同程度の6万7千人(平成17年4月の合併前)ということである。長きにわたり、脳卒中による死亡率の高さが指摘されてきた栃木県の中にあって、県平均は下回るものの、全国平均を上回っている真岡市の状況を見たとき、佐久市の取り組みは今後の参考になると考えたのである。
 視察を終えての感想を簡単に述べれば、佐久市の取り組みを見ていくと、全てにおいて「徹底・浸透」という言葉がついて回るように思われた。実は、佐久市で行なわれている高齢者支援メニューを1つ1つ見ていくと、大半が真岡市でも行なわれていることに気がつく。しかし、佐久市と真岡市の取り組みで、一体どこに差が生じているのか考えると、個々のメニューをどれほど徹底して行なっているか、市民に浸透させることに心を砕いているか、ということに尽きるのではないだろうか。
 佐久市の場合、高齢者支援のメニューを”縦糸”に例えると、それを束ねる”横糸”の役割をしているのが、前にも述べたように、長きにわたって「出張診療」等の活動を続けてきた医師たちや、住民が持ち回りで活動している保健補導員の存在がそれにあたると思われる。「徹底・浸透」を目指したとき、身近なところに指導できる人材がいることの効果は計り知れないものがある。
 また、行政の考え方についても徹底したものを感じることができた。その好例が「高齢者健康表彰」である。単なる表彰ではない。市長から直接表彰され、しかも会食までともにするのである。高齢者にとってどれほど励みになるだろうか。
 高齢者支援メニューを増やしていくことは極めてたやすい。しかし、現在行なわれているメニューについて今一度精査し、どのようにすれば佐久市のように「徹底・浸透」を図ることができるのか、本市は問い直すべきなのではなかろうか。この分野における「徹底・浸透」を図るということは、突き詰めれば「市民の立場にたった行政サービスが執行できているか」という、ごく当たり前の問いかけにたどり着くように思えてならない。



2.小布施町のまちづくりについて

 小布施町は長野県の北部、長野市から千曲川を渡り志賀高原の山並みを正面に見ながら進むと人口12000人の町がある。栗林が多く江戸時代には幕府に栗を収めたことから、小布施栗は全国ブランドとなっている。また、りんごやぶどうの果樹園芸が盛んなところである。
 天才絵師葛飾北斎が、晩年にこの地を訪れ多くの肉筆画が残っていたことから、昭和51年に葛飾北斎美術館「北斎館」をオープンさせた。オープンの年に人口12000人の町に、35000人の観光客が訪れ、町の人たちの客をもてなす心に灯がともり、訪れた人々に心地よい印象を持って帰っていただくために、町中が美術館のように清潔なまちに整備しようと動き始まったのである。「ソトはミンナのモノ、ウチはジブン達のモノ」を合言葉に事業は進んでいった。
 そして、昭和59年から61年にかけて「町並修景事業」が実施され、栗菓子の老舗や大壁造りの民家などが補修され、歴史的景観をとどめる町並みが出来上がってきた。また「花のまちづくり」に取り組み、住む人の快適さ、訪れる人を歓迎するため美しい景観や環境作りにもあわせて取り組んできた。この「花のまちづくり」平成10年に緑化推進功労「内閣総理大臣賞」の受賞に至っている。さらに、平成2年には「うるおいのある美しいまちづくり条例」を制定し環境デザイン協力基準に添った建物の新築・増改築、広告物の撤去・改修等について助成を実施してきた。
 平成5年には上信越自動車道の整備にあわせ、自然豊かな「ハイウェイオアシス小布施総合公園」の整備に着手し、町の西の玄関として人々が集う場所が整備された。そして、今年度、「小布施町うるおいのある美しいまちづくり条例」が全面改正され、「景観法」に基づいた条例とし、まちづくりの指針とする基本条例の制定に至っている。
 これら一連のまちづくり事業は、歴史的有名人である葛飾北斎の美術館オープンに始まり、美術館を核にして、町全体がうるおいのあるまちづくりを進めてきたものであり、その結果、現在では年間120万人の観光客が訪れる町に成長してきた。
 真岡市においては、郊外の発展はすばらしいものの、中心市街地では、年々寂しくなっていく一方であります。真岡市全体が活力のある町になるよう、市内にあるSLや真岡駅舎、真岡もめん、井頭公園や温泉、その他歴史的建造物など、これらの観光スポットを線で結び、観光客の誘致に努め、人々でにぎわう町となるように、ひとり一人が真剣に考えることが必要である。


3.富山市LRT事業視察報告

 富山市とは
 平成17年4月1日、42万の人口を擁する新「富山市」が誕生しています。
 新「富山市」は、海抜0メートルから3000メートル級の山々を有する全国にも例を見ない自然豊かな都市として再スタートし、「共生・交流・創造」を基本理念としたまちづくりを積極的に推進している。
 しかしながら、合併に伴うスケールメリットが大きい反面、少子化・高齢化や環境問題の深刻化、中心市街地の空洞化の進行、過度の自動車依存による市街地の拡散と、人口の低密化、公共交通の衰退などの課題も多く抱えている。
 その課題を解決すべき方法として持続可能な「コンパクトなまちづくり」を進め、地方都市としては恵まれた鉄軌道のストックを活用し、高齢者を含め誰もが自動車を使わなくても安心して快適に暮らせるまちづくりを目指していた。
 その大きなきっかけとして北陸新幹線が金沢まで着工され、富山駅付近連続立体交差事業を受け、富山駅周辺地区は、広域交通の結節点としての役割が一層高まり、県都富山市の玄関に相応しい、拠点性をもったにぎわいのあるまちづくりが求められ現在に至っているようだ。

 事業の背景
1 歴史
 富山港線の歴史は、大正13年に富岩鉄道(富山口〜岩瀬港)が開業したことから始まる。富岩鉄道は、明治45年に東岩瀬町の有志により計画され、大正9年3月から東岩瀬港の修築と神通川廃川地利用の工場地帯造成の計画とともに具体化した。
 大正13年に富山口〜東岩瀬間が600Vの電気鉄道で営業を開始し、昭和3年に富山駅・東岩瀬間が全通した。
 戦前から戦後にかけて沿線の工場等の進出には目ざましいものがあり、活況を呈していた。戦時統合により一旦は富山地方鉄道富岩線になったのもつかの間、昭和18年に国鉄に買収された。
 戦中から戦後にかけて、20分間隔で通勤電車が運行し、大都市顔負けの混雑ぶりであった。昭和42年に直流1500V化され、各地の旧形車両が使用された。しかし、沿線工業地帯の沈滞とともに徐々に減便され、昭和62年に旧国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(株)に運営が引き継がれた。
2 市街地の状況
 富山市は、低密度市街地の拡散化が進行している。人口集中地区は、昭和45年の25.5キロ平方メートルから平成12年には52.1キロ平方メートルと2倍以上に拡大した。地区内の人口密度は59.3人/haから41.2人/haに低下し、全国の県庁所在地の中でも最も低い水準となっている。
3 路面電車化決定の経緯
 新幹線整備と併せ、従来線の高架化を進める上で、利用者の減少に歯止めのかからない富山港線を高架化するかどうか議論された。
 富山港線の扱いに対して、「既存線の高架化」、「新規路面電車化」、「バス代替による既存線廃止」案を設定し、比較を行なった結果社会的便益は路面電車化案が最大となった。
 この結果をふまえ、鉄道を単に高架化するより、これを機会に公共交通の質を高め、コンパクトなまちづくりを進めるうえでも有効な路面電車化を採用することとなった。
4 全体概要
 市長の正式な表明を受け、富山港線路面電車化検討委員会を設置して技術的可能性を検討し、平成16年3月に市議会で予算案が承認されたのち、わずか1年たらずで第三セクターの設立、JR西日本との協議、法的手続きを完了し、平成17年2月に工事着手、平成18年4月末に開業という短期スケジュールで工事が進められた。
5 工事工程
 工事は、最初に軌道区間における八田橋の改修、軌道路盤工事から着手した。鉄道区間は営業線近接工事を行いながら進め、約2ヶ月間営業の運休中に電気・信号工事等及び検査・習熟運転を行う計画で進められ、着工後わずか15ヶ月弱で開業している。

 所 見
 LRTとは、軽量軌道交通(light Rail Transit)のことであり、本来は都市間路線や国際路線といった大型車両をもちいた本格的鉄道に対し、都市計画・地域計画等で位置付けられた都市内や近郊での運行を行う中小規模鉄道全般を指す言葉だが、併用軌道との組み合わせによる都市内輸送との親和を図ったシステムが注目され、以後は併用軌道を用いた都市交通システムとしての認識が強くなっている。
 現在、栃木県及び宇都宮市において検討に入っていますが、まずはきちんとした説明が必要である。栃木県は約1兆円、宇都宮市は約1400億円の借金を抱えており、その中でLRT導入には約400億円の設備費が掛かると言われているが、果たしてその原資はどこから捻出するのか。また、本県は車の保有台数が全国2位で9割の人が自家用車で移動をしているのが、栃木県の現状である。
 現在の計画の中で宇都宮東部の鬼怒川に掛かる柳田大橋東地域の道路が4車線になったために、朝の渋滞がかなり緩和されており、そのほかには柳田大橋上流に新たな橋を架けており、LRTの必要性が見えてこない。
 企業のなかには渋滞緩和対策の一環としてパークアンドライドを導入しているホンダがあり、結果として以前のようなひどい渋滞が無くなったようである。
 実際に富山市のLRTに乗車してきたが、バリアフリーの低床車両を導入しており、車椅子やベビーカーでも楽に乗り降りでき、少子高齢化時代にもマッチした大変便利な公共交通機関であります。
 また、環境にもやさしい低公害型である乗り物であり、道路混雑緩和や交通事故の削減、二酸化炭素や窒素化合物の削減などに効果がある環境にやさしい乗り物です。
 富山市が導入に際して理解が得られた最大の理由はすでに駅南に路面電車が市民の生活に解け込んでおり、利用されていたためであります。
 今後の動向として、資金面・採算性・経営状況等の説明責任を果たしていただき、方向性を出す必要がある。
 最後に、LRTの乗り心地は静かで最高の公共交通機関である事は知り得たが、慎重に検討すべきである。




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