【3月29日】

午前9時から、退職する職員の辞令交付式が市公民館で行われた。

議会事務局の職員については、議長が辞令を交付することになっており、定年退職する小池敏之事務局長に、私から辞令をお渡しした。

今から12年前、私が初めて常任委員会の委員長を務めていた時も、小池局長は議会事務局におり、その委員会を担当する職員だった。

そして、小池局長にとって最後となる年に、今度は私が議長を務めることとなり、何とも不思議な巡り合わせを感じている。

小池局長のほかにも、議会事務局からは3名の職員が異動することとなった。

いずれも昇格をした上での異動だけに、送り出す側としても晴れがましい(私自身が何か努力をした訳ではないのですが…)気持ちである。

【3月28日】

市内の阿部岡地区に完成した『リサイクルセンター』の竣工式に出席。

阿部岡地区は、昭和48年から初代のごみ処理施設が、平成元年からは二代目のごみ処理施設が稼働してきた地域であり、40年以上にわたって真岡市のごみ処理を行っていただいた。

この度完成した『リサイクルセンター』は、ごみ処理施設の跡地を再利用している。

主にせん定枝や落ち葉、草などをたい肥化させる。

YM菌を用いて、90℃以上の『超高温好気性発酵処理』を進めるため、発酵が短い期間で済むだけでなく、悪臭の発生も抑えられるという。

なお、これまで真岡市では、せん定枝・落ち葉・草については、燃えるごみまたは粗大ごみとして扱われていたが、4月以降は月1回新しく設ける『せん定枝・落ち葉・草の日』に出すことになる。

【3月26日】

真岡小学校の東側にある水辺公園で行われた『行屋川桜まつり』の点灯式に出席。

午後6時にテープカットが行われた後、会場の提灯にあかりが灯された。

この『行屋川桜まつり』は、真岡市の春の風物詩である『1万本桜まつり』の一環として毎年行われており、今年で49回目を数える。

ちなみに、真岡市内の桜について、数年前に市役所が調査を行ったところ、その時点で1万318本あったとのこと(“看板に偽りなし”です)。

ぜひ、多くの方々に、真岡市の桜を満喫していただけたらと思う。

【3月23日】

真岡市と旧二宮町が合併をしたのは、平成21年3月23日のこと。この日でちょうど10年の節目を迎え、それを記念する式典が市民会館で行われた。

式典には、市民をはじめ、福田富一知事、県内の市長・町長など約600人が出席。

全国各地で『平成の大合併』が進められていた時期、真岡市をはじめとする芳賀地域においても、1市4町(真岡市、二宮町、益子町、茂木町、市貝町)による法定協議会が設置された。しかし、協議がまとまらず合併に至らなかった。

その後、二宮町からの申し出があり、1市1町による合併協議が再び進められることとなった。

紆余曲折を経て、今日の真岡市が形づくられた訳だが、本当にあっという間の10年だったと思う。

私達の住む地域は、農工商など産業の各分野に強みを持ち、歴史・文化の面でも魅力にあふれ、様々な可能性を秘めている。それを引き出すためには、市民一人ひとりがお互いをさらに認め合い、支え合うことが何よりも重要である。

式典では、私も市議会を代表してご挨拶をする機会を与えられたが、そのようなことを述べさせていただいた。

【3月20日】

3月9日に進行胆のうがんのため死去した、那須塩原市の君島寛市長の市民葬が黒磯文化会館で行われ、私も参列をさせていただいた。

会場では、君島市長がお元気だった頃の様子がスクリーンに流され、それが参列していた那須塩原市民の涙を誘っていたのが強く印象に残った。

市民感覚・市民目線の市政運営を常に大切にしていたという君島市長の人柄を物語る光景だったと言える。

入院中のベッドでも市長としての公務をこなしていたというが、まだ1期目の途中で逝かれた無念さは、察しても余りあるものがある。合掌。

【3月19日】

真岡西小学校の卒業式に出席。

今年度、同校の卒業生は157名。

いつも地域の活動で見かける子どもや、毎週月曜日に参加している交差点での交通指導の際に声をかけている子どもが、校長先生から卒業証書を受け取る姿を見ていると、何とも言えぬ感動を覚える。

真岡西小学校は、私にとっての母校でもある。実を言うと、市議会議員の中で同校の出身者は、すでに引退した方々を含めても私1人。

今回は、議長として祝辞を述べる機会を与えていただき、本当にありがたく思っている。

今年は、30年間続いた平成から新元号に変わる。新元号の時代を、まさに『青春真っ只中』として歩んでいく彼らである。

自分の可能性を信じて、色々なことにチャレンジをしながら、素晴らしい青春時代を送って欲しいと切に願う。

【3月17日】

井頭公園をメイン会場として行われた『もおかいちごフェスタ2019』にお邪魔をする。

このイベントは、来年3月に開催予定の『全国いちごサミットinもおか』のプレイベントという位置づけで行われた。

会場では、栃木県内のB級グルメを紹介するブースが並んだほか、尊徳太鼓や真岡ミュージカルなどのステージ発表も行われた。

好天にも恵まれ、数多くの来場者でにぎわいを見せ、来年の本番に向けて絶好のPRとなった。

その一方で、車の混雑が目立ち、会場に中々入ることができない光景も。誘導の見直しなど、今後に向けて課題(現時点で課題が確認できたのは、前向きにとらえるべきとは思いますが)も見られたのも事実。

【3月14日】

宇都宮市文化会館で行われた『天皇陛下御即位三十年奉祝栃木県民の集い』に出席。

この催しには、福田富一栃木県知事や県内各市町の首長など、約1700人が参加した。

栃木県は、那須御用邸や御料牧場などがあり、皇室とは縁が深い地域と言える。

今回、特に強く印象に残ったのは、福田知事が祝辞の中で紹介した両陛下のエピソード。

東日本大震災が発生した際、栃木県内に避難をしてきた人達に、両陛下は那須御用邸の職員用浴場を開放し、お見舞いをされたという。

私は、自分自身のことを、右翼でも左翼でもないと思っている。

しかし、これほどまでに国民に寄り添われてきた両陛下が、統合の象徴をされている国の民であることに強い誇りを抱く。

【3月13日】

2月定例議会が閉会日を迎えた。

この定例議会では『平成30年度一般会計予算』をはじめとする39議案が、いずれも原案通り可決した。

真岡市としては史上初めて総額600億円を超える規模の当初予算。

そのほかにも、条例の制定や改正、廃止により、真岡駅内の『情報センター』を『子ども広場』に変更することや、市公民館・市民会館・青年女性会館への指定管理者制度導入、さらに根本山にある『老人憩いの家』の廃止なども決定した。

加えて、市民の方々から市議会に提出されていた『精神障害者に身体・知的障害者同等の福祉サービスの適用を求める要望書』については一部採択、『国に対し消費税増税中止を求める意見 書の提出を求める請願書』については不採択となった。

さて、今回は私達議員にとって任期最後というだけでなく、平成年間としても最後の定例議会であった。

この写真は、真岡市議会の議長室の様子。

議長室には、25年以上にわたって議員として在職した9名の先輩達の写真が掲げられている。

いずれも、昭和から平成にわたって活躍された方々である。

この真岡市議会は、これまで数多くの先輩・同僚達によって、真岡市の将来像について議論が重ねられてきた。

そして迎えた、平成最後の定例議会。

『これをもって、平成31年第1回真岡市議会定例会を閉会いたします』

平成年間の最後の議長として、私が閉会宣言をさせていただいたが、たった一言に色々な想いがこみ上げてきた。

【3月12日】

この日、市議会では議場において『予算審査特別委員会』が開かれた。

真岡市議会では、予算を審査する場合、まず各常任委員会で所管する課について審査した後、慎重審査を期すため全議員で構成する『予算審査特別委員会』で再審査をする。

『100の自治体があれば、100通りの議会制度がある』と言われ、各市議会の審査方法を調べると『へぇ~、そういうやり方もあるのか!』と、驚かされることがある。

ただし、県内のある町議会議員から『色々調べてみたけれど、真岡市のやり方が1番理にかなったやり方だと思う』(実は…私もそう思っていました)と言われたことがある。そうした制度を作り上げてこられた先輩達には感謝している。

今回質疑を行ったのは、

日下田喜義議員、池上正美議員、飯塚正議員

の3名。

『活力ある地域づくり事業費』、『母子家庭自立支援事業費』、『とちぎWORKWORK移住・就職促進事業費』など計17項目について質疑が行われた。

 

【3月11日】

東日本大震災の発生から8年がたった。

あの時も、ちょうど市議選を控えて、議会の合間に選挙準備にも追われていた。

『真岡市は自然災害の少ないまちである』

市民は、長きにわたってそう信じ込んできた。しかし、それが単なる妄想でしかなかったと教え込まれたあの時の震災だった。

『災害はいつ、どこで発生してもおかしくない』

近年、全国各地で発生している災害を見るにつけ、そうした想いを改めて強くする。

ただし、そうした経験や教訓は、いずれ風化してしまう。

昨年、鶴田、八條、西田井の3つの自治会が合同の防災訓練を行ったが、そうした『記憶の伝達』をしていく努力が必要なのだと思う。

【3月8日】

この日は、市内の中学校で卒業式が行われ、私は真岡中学校にお邪魔をした。

今年度、同校の卒業生は203名。

私も、真岡中学校の卒業生であるが、私達の学年が同校を巣立ったのは、ちょうど30年前のこと。当時の同級生は467名もおり、今年の1月には学年全体で初めての同窓会も行ったばかり。

議長として祝辞を述べていると、保護者席に何人もの同級生がいることに気付く。

自分の中学生時代を振り返ってみた時、今も強く感じるのは、当時の仲間のありがたさである。

心身ともに最も成長する時期とされる中学生時代。その分、色々な悩みやカベにもぶつかる中学生時代。

だからこそ、そうした時代を一緒に過ごした仲間というのは、まさに『一生ものの財産』なのだと思う。

今回の卒業生にも、3年間で育んだ友情をこれからも大切にしながら、新しいステージに進んで欲しいと願うばかり。